ひ孫と曽祖母のふれあいと、介護のこと

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93歳差の対面が叶って

先日、3歳の上の子とこの夏に産まれた下の子を連れて、夫の祖母に会いに老人ホームへ行ってきました。

なかなか会いに行けず、ようやく産まれた子に会わせることができました。

当日思い立って行くことになったため、仕事で夫は不在。義理の母と私と子どもたちとで行くことに。

結婚して4年経ちますが年に数回しか会う機会がないので、恐らく私のことはあまりよくわかっていないと思われる義理の祖母。

夫がいないので、誰の子が来たかわかってもらえたかな。耳が遠いので大きな声で伝えたけれど聴こえたかな。もしかしたらハッキリと分かってないかも?でも何度も確認するのも失礼だし…。

そんなソワソワした気持ちではありましたが、ひ孫たちに会ってとても嬉しそうな様子。

下の子は初めての環境と知らない人にびっくりして大泣きしていたのですが、「ばぁ〜」と沢山あやしてくれたり、顔が見えると「こっち見た」と嬉しそうでした。

上の子には「いくつ?」「おいでおいで」と話しかけたり、個室で動き回る様子を楽しそうにみていました。

赤ちゃんに自然と手がのびる

義理の祖母はもう歩けなくなってしまっていて、ベッドに横になっている状態。足も手もかなり浮腫んでいて、動かすのが辛そうでした。

私たちが着いてからはベッドの背もたれを起こして過ごしていたのですが、コップなどを自分で持たせようとしても、動きはゆっくりだしブルブル震えるほど。

それなのに、私が赤ちゃんの顔を見てもらおうと近づけるとサッと手が伸びたのです。本当に、自然に。びっくりしました。

あぶなげだったので残念ながら抱っこはしてもらえなかったのですが、その腕はたしかに抱っこしようとしていたように思います。

言葉にするとありきたりですが、人間の本能を感じた瞬間でした。

高齢者にとって赤ちゃんとのふれあいは、良い効果があることは聞いたことがあるし、きっとそうだろうなと何となく理解できるものでしたが、本当にそうだと実感しました。

親の世話、介護のこと

もう一つ、今回の訪問で感じたのは介護のことでした。

私は核家族育ちで祖父は小さい頃に介護などのないまま亡くし、祖母はどちらも健在。母方は同じく93歳ですが息子(私の伯父)と二人暮らしで家事も自分でやっているほど。父方は疎遠で入退院を繰り返しているのは聞きますが、生活の様子はよくわかっていません。

要介護の家族との接点がなく、高齢者の世話はテレビで見たことがあるという感じで現実味がありませんでした。

会いにいった義理の祖母は一緒にいった義母の実母でした。持ってきたおせちを少しだけ食べさせて、歯磨きをしてあげる義母。

義母が自分を育てた母のお世話をする様子を見て、初めて介護のリアルを垣間見た気がしました。

介護のリアルと言っても何かヘビーな様子を見たとかではありません。

少し前まで自分でやっていたことが自分ではできなくなってしまったんだな、という事実がそこにありました。

口開けてと言われて歯磨きされる姿。洗面台の前までいけないので、うがい受けを持ってする歯磨き。

そんな様子が、年に数回しか会わない孫の嫁にも見られるということ。家族だから全然いいのですが、今までだったら目の前で歯磨きすることはなかったわけです。そうしたプライベートなことも人前でされるのです。

それは、私がいましている子どもの世話と同じことではあります。トイレという個室ではないところでオムツ替えをしたり、離乳食は口へ運んで食べさせてあげたり。

同じなんですが、できないことが段々とできていく子どもと、できていたことが段々とできなくなる高齢者。

成長と衰えの過程がクロスするだけで、先の未来が違うものなので、感じ方は違いますよね。

まだ、整理のつかない気持ちが多いです。

初めて介護を目の当たりにした私にとって、なんだかポーンと静かな湖に石が投げ入れられたような光景でした。

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